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映画 『いつか読書する日』 [Movie]

いつか読書する日 [DVD]

いつか読書する日 [DVD]

  • 出版社/メーカー: アミューズソフトエンタテインメント
  • メディア: DVD

とても良い映画だと思いましたので、感想を書きます。

あらすじ
牛乳配達とスーパーのレジで働く50歳の独身女性・美奈子(田中裕子)は、読書のみを趣味に平凡な日常を過ごしていた。一方、市役所に勤める高梨(岸部一徳)は末期がんの妻・容子(仁科亜希子)を自宅で看病し続けている。美奈子と高梨は高校時代につきあっていたが、あることが原因でずっと疎遠になっていたが、今もお互い心にとどめていた。やがてそのことに気付いた容子は、ふたりを再会させようとし・・・

予告編
http://www.youtube.com/watch?v=rkwW-_4ycXo

あらすじを見ると「地味なヒューマンドラマ?」と思うでしょうし実際そうとも言えるのですが、物語が地味だからといって作品の中で起こっていることが地味だとは限りませんし、まあ、映画って、そういうところが面白いですよね。
というかむしろこれは一種の「ファンタジー映画」ですね。このファンタジー性がリアリズムから逸脱していることが気になる人には、ダメな映画でしょう。ですが、ファンタジーが起こる地盤としての細部の作り込みがとても丁寧で、その入念な描写の積み重ねにこそ、この作品の魅力がある。ぼくの感想はそんな感じです。
が、もう少し書いてみます。

物語の舞台の風景が魅力的に描写されています。風景が魅力的に描かれていると、ぼくの場合、文学用語でいうところの「異化」が起こります。異化とはかんたんに言うと「日常的な、ごく当たり前になっているものでも、表現によって新鮮な驚きをもたらす」作用です。
坂の多い、すり鉢の底のような地方の町が舞台で、夜明け前の青い町を、牛乳配達をする主人公が走る冒頭から、全編、このありふれた地方都市を「美しいなぁ、美しいなぁ」とずっと思っていました。似たような感覚は、わかりやすいところで言うとジブリのアニメ「耳をすませば」でも感じましたね。ああいう感じ。そこで起こる個別の惨や苦はべつにして、日常的な光景それ自体が、何か至福に満ちた劇場なんじゃないかと俯瞰するように思える作品というのは(映画は視覚メインなので特にそういう感覚になることが多い)、個人的には凄いことなんですよね。「人が描けている」ことも大事ですけども、風景が描けている、というのも、とても大事なことだと思います。まあ、娯楽大作なんかにはそういうの求めませんけども。

で、人。あまり筋には触れませんが、田中裕子と岸部一徳がとても良いです。
地味な顔じゃないですか、二人とも。それがこの作品の内容に恐ろしいほどマッチしてるんです。これは観たらわかります(笑)
主人公の二人は、すり鉢の底のような地方の町で、それぞれ平凡な生活を守って生きています。中年女性はこの町で何十年も牛乳配達をしていて、徹底的な反復を守っている。男性のほうは町役場に勤め、死期の近い妻を看病しながら、平凡に生きることを頑なに誓っている。
この男女が平凡を守るのには、過去の、共通した「できごと」があるのだし、物語は当然この二人にドラマを起こすことは、まあ始めからわかっちゃってるんですけど。でもこの設定においてドラマが起きるであろうことは、なんだか観ている者を緊張させます。それはこの二人が「ドラマ」が起こることを徹底的に避けようとして生きていて、それがしっかり描かれているからです。この「緊張」が「スリリング」ということで、映画というのはたとえばサスペンスのジャンルなどでなくとも、スリルというものを感じさせてくれる側面がありますよね。
で、この二人が、表面からは完全にかき消している(実は毎朝、互いへの気持ちは伝えているんだけど…)、相手への、どうしても消せない、消しようもない思いを抱えて生きているというのも、しっかりと演出されている。

(批判めいた感想を一言だけ言うと、なんか、「ドラマ」は不要なんじゃないかとも思ったところもあるんですが、まあ、それでは作品として成り立たないですからね…)

主人公のドラマの横に、幾つかの挿話があり、そのうちのひとつが伏線となってラストシーンに関係してきます。同じ町で暮らす人たちの話です。認知症の進行している旦那とその妻、そして、ネグレクト家庭の子供。本筋との関係に必然性があるかというと微妙なのですが、主人公たちの内面をうつすように設定されていて、うまいです。人生の無常や悲惨を感じさせられて、少し辛いですけど。

上のほうに書いたように物語としては実は出来過ぎというかそんなわけあるか的なファンタジーな感じなので、そこに関しては「う~ん」ってところもあるんですけども、とてつもなく地味な中年男女の「純愛」を描くとして、ファンタジーを免れうるかと言うとムズカシイわけでして。。ただやはり、細かく、丁寧に作り込まれています。シーンごとに意味があるってレベルで。
まあそうわけで細かく分析してしたり好ましいところを書き連ねたら倍くらいの長さになりそうなのでやめておきますが、なかなかの逸品でした。
「映画って、やっぱりいいな」と思いました。「映画って、やっぱりいいな」と思わせてくれる映画に巡りあうのって、本当に嬉しいですね。
朝のつめたくて澄んだ空気の中の、牛乳配達の、牛乳瓶のこすれ合う音が、妙に耳に残ります。


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映画 『マイマイ新子と千年の魔法』 (☆オススメ) [Movie]


マイマイ新子と千年の魔法 [DVD]

マイマイ新子と千年の魔法 [DVD]

  • 出版社/メーカー: エイベックス・マーケティング
  • メディア: DVD


これは感動しましたよ。のっけから言っちゃうけど、傑作の部類ではないか。
観終わったあと、「この人にはオススメしたいな」と思った人全員にメールしたくなったくらい。
「これ、、観てほしいな」だけでいいという気もするんだけど、自分なりにちょっと魅力というか、感想を書いてみようとおもう。まあでも長ったらしいので読まなくても全然いいんだけど(笑)
本作は、特に、お子さんのいらっしゃる方には「推薦図書」的な位置づけで可能な限り普及してほしいわ、ってな感じでして。

とりあえずこちらを・・・
「マイマイ新子と千年の魔法」予告編(90秒)
この映像でピンと来た人はTSUTAYAへGO!!

設定や物語については細かくは書かないけれど、昭和30年代前半くらいの、自然の豊かな田舎(その近くには復興過程のガラの悪い歓楽街もある)で暮らす少年少女たちの日々の、歓び、ドキドキ、そして葛藤や困難を、「詩情」豊かに描いたお話です。

というと、なんだかありふれた作品のように思えてしまうな。
なんというか、一見ありふれた「教育的アニメ」のように見えてしまうのは確かなのだけれど、言葉に変換しにくいがじんわりと沁みてくる、独特のインパクトがある。

最近ぼくは、年齢なのか、あるいは自分の子供が育ってきたことによる捉え方の変化なのか、戦後から平成不況以前まであたりの日本を舞台にしたある種の作品を否定的に語るさいに度々用いられる、懐古趣味、郷愁、感傷といったものを、わりと素朴に肯定している。
すでに消滅してしまった風景や、今とは違う美点や欠点をもった社会や共同体を正面から描いたものを懐古だと言ってしまうのは簡単だけれど、作品によってはそういうレッテルで片付けるだけでは足りないものも勿論ある。
娯楽作品というのは現代社会の問題を読み解いたり反映したりするためだけに存在しているわけじゃないし、「人にとって、ほんとうに大切なものって、何だろうね」みたいな、口にするのも気恥かしくなってしまった、多くの人がとっくに「片付いた」と思ってしまっているシンプルでナイーブな命題を喚起させるって効用も、もろちんあるわけでね。
まあつまりぼくはこれを観て自分にとって「大切なもの」がどういうものなのかということを感じさせてもらった。

主人公・新子の少女時代というのはぼくの親の世代のころなんだけれど、昭和後期に田舎で少年時代を過ごしたぼくのノスタルジーを刺激したのは確かであり、ていねいに描かれた美しい風景描写にしみじみと見惚れてしまった、というのがぼくにとっての魅力のひとつ。

しかし、この映画はなんといっても、子供たちの感性、想像力というものが、イメージ豊かに描かれているというのが、もっともすばらしい点だとおもう。

子供の内面を主軸にした物語をみるときには、子供の視線を通じて、この作者は何を伝えようとしているのか、というところをやはり意識してしまいます。作品の内容とかテーマにもよりますけど、子供をどういうふうに描くかに、作り手の人生観とか世界観がのぞけますからね。

子供は子供にしかない世界の見方というか、拡がりや奥行きがあって、仲のいい近所の友達なんかと目いっぱい遊んで、これ以上【向こう】へ行ってはいけないというところまでドンドン深く掘り進んでいくべきだとぼくは思ってる。まあ、普通そうか。
その【向こう】というのは、地理的な境界であったり、子供の頭で考えられることの限界だったりする。そこにブチ当たって跳ね返されることで、オトナにちょっとだけ近づくような何か。んで、そういうものに少年、少女期に触れることは、その後の人生、とくに大人になってからポジティブに活きてくると思うんだよね。
観ていただけたらわかると思うけれど、この映画はそういうところをナチュラルに描いてるんですよね。子供っていうのは、子供にしか感じられないこと、子供にしかできないことをしてればいいんだよ、とおもう。

マイマイ新子ちゃんは、空想ばかりしている。
この新子ちゃんの暮らす土地には、かつて、千年前の平安時代、貴族の屋敷があった。新子ちゃんは、そこに暮らしていたかもしれない1人の幼い少女(清少納言?)の暮らしを自分と重ね合わせ、空想している。
田園のなかの新子ちゃん自身の家の近所のいたるところに、堀とか建物の痕跡が実際に残っていて、そこから自由に空想を拡げる。この演出が、じつに素晴らしいんですよ。
千年という時間の隔たりを、少女の空想ひとつでつなげてしまう。なんというポエジーか。千年前に生きていた人は勿論「居ない」、でも「存在」してるんですよ。「感じる」ことができる。

ぼくは自分が日々子供と接していて、やっぱり何が子供ってイイなと思うかって、現実と空想が同列に存在してるってことなんですね。お母さんや友達や猫がそこにいるように、トトロも鬼もヒーローも「存在している」。先程も書いたけど、子供のころにしかない世界観がある。なんて可愛らしく、素敵なことなんだろうとおもう。
現実、つまり「ほんとうのこと」を知っていって架空の存在が決定的に否定されてしまうまでのあいだに、その世界をできるだけ拡げてほしいとおもう。このことは物凄く大事なことなんじゃないかと思っている。

まあそういうことをこの瑞々しい映画を観て感じました。
子供は大人の事情に振り回されて生きており、大人の世界の暗い部分に直面し、子供ながらにそこへ思いをぶつけていくというようなエピソードもあったり、また「そうなってしまうのか」という結末で締めくくられていたり、ひたすら清々しさに貫かれているわけではないんですけど、作り手のメッセージのようなものは十分に伝わってきました。

いやあ、ホントによかった。

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映画 『モテキ』 [Movie]

前回のブログの続きを書きたいところだけど、2つ、週末に観た映画について感想を書きたいので書いておこうとおもう。

モテキ DVD通常版

モテキ DVD通常版

  • 出版社/メーカー: 東宝
  • メディア: DVD


まずは『モテキ』です。
なんだかコミックやテレビドラマ、映画などで話題になっていたのでなんとなくどういうものか知ってはいたのですが、未読・未見でした。劇場版をCSで放映したので観てみたら、けっこう良かった。

まあ映画作品としてとかストーリーがどうとかというより、若者の恋愛のリアリティみたいなものに、もう二度と戻っては来ない恋愛時代を思ってせつなくなりましたね。とてもオーソドックスな青春映画だと思いました。

恋愛というのは心が平衡を崩した「おかしな状態」になってると言えますよね。若いころなんか特に。自意識が空転して舞い上がったり、一転ドン底に落ちたような気分になったり、非常に自分勝手であったり、自分が傷つくのを過度に恐れたり、一方で人を傷つけることに鈍感だったり。感情に振り回されるから、自分の性格の弱さみたいなものが露わになってしまいます。この映画は、そうした主人公の性格、内面というものが、キッチリ描かれていました。
森山未來君はイケメンというわけでもなく、個人的にはイケ好かない顔をしているのですが、こういう「カッコ悪い」役どころを演じられる若い役者は他にあまり思い当たらないですわ。

他の登場人物も、恋の辛さみたいなものを抱えていて、やはり共感してしまいました。
長澤まさみ扮するヒロインは、家庭持ちの男(イケメン&趣味分野で尊敬できる人)と不倫をしている。どこにも行きつかない関係と相手への想いの間で苦しんでいる。その懊悩を表には出さず、気丈に、明るく振舞っている。その苦しみはなかなか直接的には描写されない。
まあそういう境遇であるところに、一途に思ってくれる主人公の「活路」があったわけだけどね。
不倫相手に「あなたが家族のことを話しているとき、私は笑って聞いてるけど、本当は凄く嫌だったんだよ?」と電話越しに言うシーンがあり、そうそう、こういうとこって男はバカだよな、と思ったり。
『八日目の蝉』という映画でも、主人公の女の子が不倫相手(これが劇団ひとりで、実にいい味を出してた)と焼肉を食べているときに、男が「ウチのチビちゃんたちが大きくなったら離婚するからさ」と笑顔で言って、そのあと女が唐突に別れを切りだすというシーンがあった。どっちの映画も原作者は女性だそうで、こういう男のどうしようもない脳天気さというか、相手の心を自分に都合よく隘路に押し込めておいて、自分が最優先として守ってるものをあっけらかんと語るバカさなんかは、絶対に女性にしか描写できないなと思いました。

登場人物ではもう1人「かなしい」女性(麻生久美子)がいて、主人公のことを好きなんだけど、こっちの恋は成就しない。恋の痛手を受けて落ち込んでいる主人公の傷の隙間に入ってセックスしちゃうんだけど、翌朝、冷静になった主人公に冷たくされるのね。相手の気持ちがこっちへ向いていないことを察しつつも絆創膏のような立ち位置で付き合いかけるんだけど、結局は剥がされてしまう。痛い(笑) 絆創膏は剥がされる運命にあるからね。ぼくもそういうことあったし、女の子をそのように扱ったこともある。
うわぁ…、と思ったのは、主人公に「(君の気持ちは)重いんだよ!服も趣味も合わない!!(要はウザい)」と言われ、押し込めていた感情が爆発して号泣し、「私どうすればいいの!? 私がんばるから!○○君の好きな洋服着るし、○○君の好きな音楽を聴くし、もうB'zとか聴かないから!(これは笑ったけど)」などと、絶望的な詰め寄り方をしていて、好きで好きで仕方ない人への思いが無残にも断ち切られそうになると、こういうミもフタもない捨て身のブチ当たりしちゃうことって、あるよなぁ、、と自らの遠い過去を思い返したり。
で、彼女はその後すぐに、その傷を突かれて主人公の上司のヤリチン中年(リリー・フランキーw)に抱かれてしまったり。

なんか長々と書いちゃったな。

まあこういう、ありがちだけれど「わかるなあ、わかる」という感じの小さな恋愛群像劇が、わりとセンスのいい日本のポップスを随所に織り込みながら明朗で茶目っ気のある演出で描かれており、非常に好感を持ちました。
二度は観なくてもいいかなと思うけど。

恋愛の第一線からは退いた身として、いいなあ、若いっていいなあ、恋っていいなあ、とかアホみたいに単純な感想を抱いた次第です。(申し訳ないが恋愛経験のほとんど無い人は全く愉しめないとおもう・・・)

あ、そうそう、
長澤まさみって、可愛いなあ。物凄く可愛かった。舐めてた。
『岳』って映画の山岳レスキュー隊員役、『都市伝説の女』というちょっとお色気な刑事ドラマ、そして今回の『モテキ』で、完全なファンになってしまいつつある…
カラダもいいし、顔は満点じゃないけど、ショートカットが似合っている。エロかわいい。この映画の最大の収穫はこれですかね。

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『恋の罪』 感想 (というか園子温さんdis) [Movie]


恋の罪 [DVD]

恋の罪 [DVD]

  • 出版社/メーカー: Happinet(SB)(D)
  • メディア: DVD



苦手、と言いつつ観てしまう園子温。
批判のための文章なんて、とは思うんだけど、『恋の罪』を観て『冷たい熱帯魚』と同じようなことを思ったので、書いてみる。
何かの拍子にこのページへ来た方でファンのひとがいたら、読まないでください。

ちなみにぼくは本や映画は他人の感想を基本的に読みません。この作品が、そして園監督がどういう評価をされているのかよく知りません。観て思ったことを言います。

家庭や家柄という檻から自らを解放(堕落)させて「闇」(売春)の世界に生き場所を見出す女性の物語です。

まあなんというか、ありふれたVシネマ的というかメロドラマ的なエロサスペンスなんですが、何作か観たなかでぼくの抱いた園監督の特徴として、人間の性欲や暴力、下劣さ、残酷さ、救いがたさを描く、その表現の発露に躊躇がないというのがある。

しかし、ここが評価の分かれるところで、ぼくは、彼の一見「突き抜けた」暴力性は、とても陳腐なものに感じられてしまうんですよね。表現されるものはショッキング、センセーショナルに見えるけれど、俗に言われる「狂気」のようなものは実は全然感じられず、真面目で文学的な青年が露悪的にふるまい、「良識」のようなものを挑発しているだけのように見える。
まあつまりこれって、ぼくは園子温という映画監督に根本から否定的だって言ってるのと同じになっちゃいますね。ま、ぼくの印象です。

ひとつ加えておくと、園さんより遥かにレベルの低い監督なんて『おくりびと』(笑)の人を筆頭にゴマンといます。人は、どうでもいいものは無視します。無視できないのもひとつの愛なのです!!

で。『恋の罪』。
脚本にも文句がある。
神楽坂恵扮する主人公の主婦の性格、性格が育まれるに至った背景、つまりもともとの人間性が全然わからないまま、息苦しい家庭の圧力から逃れるように「きれいに、あまりにもきれいに」道を踏み外していく。この女性が転落していくための動機付けを、潔癖で、あからさまに異常な性質の旦那にひっかぶせている。もっと「フツー」の旦那にして、幼い子供がいるとかにしたらいいのに。つまり描きやすいとこに逃げている。
(あと園監督は、この巨乳なだけで芝居も下手で雰囲気もない女優を使うのはやめたほうがいいと思うけど、奥さんなんだね・・・)

大学の先生の先輩娼婦も、由緒正しい家柄、性に奔放だった父の「血」、その呪縛への対峙という、何だかどこかで散々みたようなクリシェな「反動」で動いている。じつにつまらない。
水野美紀扮する刑事も、彼女たち「踏み外した」娼婦の心理を本質的に「理解」できるようなキャラクター(家庭がありながら不倫相手の性奴隷になっている)になっていて、正直、物語のなかで何の影響力も持っていない。そしてあのラストシーンはなんだ!? きれいに締めくくろうとしやがって!! 「そうきちゃダメだよな?ダメだよ??・・・ああ、やっちゃった・・・」みたいな。

あとね、この人のは「エロい」けどエロスは感じないんですよ。微妙な違いをうまく説明できませんが。
これは意図的なものなのか、園さん自身の「スケベさ」の性質なのかわかりません。
そりゃ、神楽坂恵の肉体は物凄いですよ。でももうこの人の裸は結構です、って感じ。

まあなんかただのワルクチになってきたんで長々と書くのもアレだけど、妙にサバサバした残虐・エログロ描写、こうした表現の先鋭さの一枚(一枚なの)内側には、とても古臭くて通俗的な、文学的な感性がみて取れて、どうもぼくは鼻白んでしまう。まさに多くの人がこの監督のポジティブな特徴として挙げるであろう点を、「ダサいなあ・・」と感じてしまうのです。
この見方を「裏切られたくて」観ているのですけど。すなわち、まだ何かあるのではないか、と期待しているフシがある。
ということで次回作の『ヒミズ』も観てみますよ!!

ちょっと逸れるけど、そもそも(まだ続くんか)ここに出てくる女性たちは、もともとがある程度恵まれているんですね。「最悪」ではない。
生育環境の負の世代間遺伝で、10代のうちから、本作で使用されている言葉でいうと「堕ちて」しまっている女性などたくさんいる。そういう子の日常や「内面の空虚」を、派手なドラマに回収することなく語る言葉は、文学や文学的なるものには荷が重すぎるのだろうか。

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映画 『トスカーナの贋作』 『十三人の刺客』 『ヒアアフター』 『新少林寺』 [Movie]

この週末は家族が留守だったので、DVDを4本レンタルしてきた。日曜の朝、友だちと茅ヶ崎の海岸をジョギングしたりしたけど。
まあ、のんびりしました。

観賞したDVDの感想を、ざっくりと書いてみます。(観た順番)


『トスカーナの贋作』

トスカーナの贋作 [DVD]

トスカーナの贋作 [DVD]

  • 出版社/メーカー: キングレコード
  • メディア: DVD


ぼくは、キアロスタミ監督は大好きなんですよ。小1時間は語れるくらい。
陳腐で青臭い表現を承知で、バカ正直に宣言してしまうと、映画の美しさ、生きることの美しさ、をぼくに教えてくれた数少ない映像作家、というかクリエイター、というか芸術家のひとりです。
映画の「中」と「外」を作中で繋いでしまう、という手法で主題、メッセージのようなものを際立たせるという独特なことを平然とやっちゃう監督なんですが、本作『トスカーナの贋作』については、ぼく、正直よくわかりませんでした。

壮年の、「贋作」と「本物」をめぐる美術論を上梓した作家と、同年代の、アトリエを経営する女性のコミュニケーションを、思弁的な問答を織りまぜて描く・・・と思いきや、2人はある瞬間から「15年連れ添った夫婦」を演じていきます。その「贋作」としての夫婦関係が本気の緊張感を帯び、それが虚構なのか現実なのかわからなくなっていく。

でもこれが、何を主題にしているのか? それがわからず・・・。
まあ、変わった映画でした。しかし、いま作品を思い返してみたら、もう一度観たくなってきた。
長い時間を共にして、亀裂の幅をじわじわ拡げてきた夫婦の感じは伝わってきましたが、それをニセモノの夫婦が演じるってのは・・・なんなんだ?

『十三人の刺客』

十三人の刺客 通常版 [DVD]

十三人の刺客 通常版 [DVD]

  • 出版社/メーカー: 東宝
  • メディア: DVD


悪逆非道のお殿様を、国を、臣民を守るために、13人の勇者が討つ。
というそれだけの話。日本人が大好き、みごとなまでの勧善懲悪モノでしたね。
特に感想はありません。
お金かけてこういうのをド派手にやりたかったんだろうな、監督は。という。
今この時代は、暗君を殺せばそれで終わり、という時代でもないのに、どういうメッセージがあったんでしょうか。特に無いんでしょうね、そういうものは。いや、無くても全然いいんですけどね。

三池崇史さんという監督は、多作で、公開作のタイトルと内容を聞くたびに、「またこんなの撮ってるんだw」という感想を抱きます。このひとからは、「名作」を撮って、「権威のある賞を獲って、世界から認められたい」というような野心を感じません。
自分が面白いと思うもの、自分が映像化してみたいものを、好きなようにガンガン撮っていくぞ、という若々しい意欲をつねに感じますね。個人的には、たのしめない映画が多いんですけど(笑)

『ヒアアフター』

ヒア アフター ブルーレイ&DVDセット(2枚組)【初回限定生産】 [Blu-ray]

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  • 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
  • メディア: Blu-ray


これは佳作です。良い映画だと思いました。
クリント・イーストウッドの監督した作品って、全部は観てないんですけど、どれも、なんというか言葉にしにくいものをゴロリ、と胸中に放り込んでくるんですよね。
「これは・・・良い映画だと思う・・・」って大体思うんですよ。でも「何が」良かったのか、うまく言えない。描こうとしているものが、単純じゃない。
毎度まいど、主題、題材の選び方が、独特の着眼なんですよ。
「どうしてこういう映画を撮ろうとおもったのか」ってのが、わからない。変なヒトです。
それでいっつも、完成度が高い。
内容どうこうでなく、ていねいに物語を練り、役者をていねいに選び、映像を丹念につくり、音楽も慎重に挿入する。それで、重くて、立ち止まって沈思黙考させるような、この監督特有の感動をもたらしてくれる。

この映画は、「死」を扱っている。もっというと、死後の世界を扱っている。死に接近した、触れた、抱えた人間に、死後の世界の存在を通じて希望を与えている。
ふつう、こんな危なっかしいテーマ、取り上げないですよ。オカルトになっちゃうもん。でもそうならない。静謐な荘厳と、静かな慈しみに満ちている。前段に書いたイーストウッド監督への評価は、この作品を観る以前から、ぼくが持っていたものです。そしてこの作品を観たあとも、寸分たりとも変わらない。なんという個性的な映画監督なんだろう。

この映画を2011年3月11日以降に観たひとは、誰もが、あの巨大な津波を思い出すでしょうね。信じられないほど「リアル」な津波のシーンがあります。
津波に飲まれて「一度死んだ」女性が再生していくさまと、あの東北の津波被害者、その家族が再生いくことを安易にリンクさせることなどできないけれど、この映画は、死後の世界の存在という反則めいた切り口からであれ、人が救済されうる、再度立ち直って希望をもちうる、ということを描いている。
オススメできる映画ですね。

『新少林寺』

新少林寺/SHAOLIN スペシャル・エディション(2枚組) [DVD]

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  • 出版社/メーカー: Happinet(SB)(D)
  • メディア: DVD


『少林寺』といえば、ぼくが幼少時カンフー映画にハマるきっかけを作ってくれた名作で、そのリメイク?です。
とはいえ、時代設定(辛亥革命後の混乱期)も物語設定も、ぜんぜん違う。
少林寺拳法という武術(まあ、カンフーですね)での戦闘シーンは当然たくさん出てきますが、拳法は仏教のおしえと同義、つまり精神を律し、心のありようを仏性へ近づける思想という描かれ方がされています。カンフー映画ではあるんだけど、徳や慈愛を説く人情映画、というふうに見えましたね。

独裁政権の権力者が、腹心に裏切られ妻子はじめすべてを失い、かつて独裁時代に愚弄した「少林寺」で改心し、やがて、今や独裁者となって民を虐げるかつての腹心と対決していく、武ではなく心でな!という。あ、ネタバレした。
まあなんというか、開始20分で予想外のストーリーになっていったわけですが、それはそれでどうも図式的な、ご都合主義的な、ステレオタイプ的な「イイ話」になってて、ぼくはだんだん「あ~あ・・・」となっていきました。
暗すぎるんだよ!!もっとこう、ハチャメチャやってくれや!!と思っちゃいました。

てわけで、感想は以上でーす。


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映画 『人生万歳!』 [Movie]


人生万歳! [DVD]

人生万歳! [DVD]

  • 出版社/メーカー: アルバトロス
  • メディア: DVD



『人生万歳!』(2009年/アメリカ)

予告編 ↓
http://www.youtube.com/watch?v=z-m6aIJXZe0
この予告編の雰囲気、そのまんまの映画です。

感想を一言でいうと、「いつものように」「普通に」面白かったです。
「いつものように」「普通に」面白い作品を、70歳をいくつか過ぎても、1年に1作のペースで、当たり前のように作っている。こんな監督は稀ですよね。できるだけ長く、愉しませてほしいですね。

概していえば、「ウディ・アレンの洒脱なラブコメディ」という「ぼくたちがよく知っている面白さ」の枠から何もハミ出ていない。だからといって期待を大きく上回らないことに、不満などまるでない。こちらとしては毎回「こういうもの」を愉しみたくて観るんですからね。「ああ、うん。これこれ(笑)」というね。

ウディ・アレンの近作でわりと顕著になってきているなと感じるのは、「自由」になってきているってところですね。
リアリティに縛られていない。登場人物にとって都合のいい展開、そんなにうまくいくか?(現実では)というような「ありえない」ハプニングや偶然を、ぬけぬけと入れてくる。「別にいいじゃん。なんたって、これ、結局映画なんだし」みたいな、肩の力がこれまで以上に抜けたリラックス感というか。

CGなんてゼロだし、そこで起こっていることは日常の延長のような「小話」なんだけど、よくよく見ていると「そりゃねえよ(笑)」と突っ込みたくなることがたくさん起こっています。日常ファンタジー、とでも呼びたくなるような。
それが、おいしいけどそのままで食べるには物足りないパイ生地へ、甘いクリームやバニラアイス、色とりどりのフルーツで彩るような、茶目っ気に満ちたキュートな作り方に思えるのです。
そう、少女が自分の好きなようにケーキを作るように、映画を作っているような感じがするんですね。


内容は、この邦題そのまんまですね。「人生万歳」。「リア充万歳」と言い換えてもいいと思うんですけど(笑)
人を好きになったり失ったり好きになったり失ったりして生きている、滑稽でまじめで愚かな僕たち人間のことが、大好きなんだよ、君たちもそうだろ?ということを言っていると思いますね。
(作中、主人公が「こちら側の、映画を観ている観客」に向けて、何度も話しかけてきます。こういう茶目っ気も最近よく見られますね)

いや、結構笑えますよ。
偏屈で口の悪い、世をすねたインテリジジイのとこに押しかけてきた、純粋天然少女、追いかけてきた彼女の保守的な(本性は○○な)両親を中心に、ドタバタと恋愛狂想曲がくり広げられます。
あと、毎度のことながら、女優がかわいい。とてもとても可愛いです。可愛く撮る。どこからこんな子見つけてくるの?ってかんじ。
まあだからつまりは、いつものウディ・アレンですね。




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映画 『トウキョウソナタ』(黒沢清) [Movie]


トウキョウソナタ [DVD]

トウキョウソナタ [DVD]

  • 出版社/メーカー: メディアファクトリー
  • メディア: DVD




前日にコーエン兄弟の『バーン・アフター・リーディング』を観て面白いなァと感心したんですが、本作『トウキョウソナタ』はその上空、更に澄みわたる気圏を優雅に飛んでいくかのような傑作で、黒沢清こそ、現在の日本映画界を代表する一流作家であるという思いを新たにしたのでした。
映画作家としてこちらのほうが1枚も2枚も上手、というか、違うな、上下じゃない、資質が異なる。「表現者として立っている場所」が違う。

コーエン兄弟の作品を久しぶりに観て「やっぱり映画って脚本だよね、脚本ってホントに大事だよ」と思ったのでしたが、いやいや映画にはそれよりも大切なものがあるじゃん、お前はそれをもう忘れちゃってるの?と、もう一段階深い部分で自問させられました。

それは作者の「意志」のようなもの、世界とどう関わり、何をみつめ、何を見出し、何を伝えたいのか、という表現者の情熱や矜持のようなもので、2時間の娯楽を提供しながら、観客の「その後の時間」に働きかける、観客の精神にゆさぶりをかける、しなやかで強い力です。
映画のジャンルや作風は無数にあり、無数の観点があると思いますが、僕が映画を観るときにいちばん触れたいと願っているのは、その種のパワーなのだと、再認識させられました。ま、映画に限らず、文学に関してもそうですけど。


で、その『トウキョウソナタ』です。国内外のたくさんの賞を受賞しているようですね。頷けます。
とりたてて真新しいテーマでも、手法でもありません。ありふれた都会の家族の崩壊と希望を、すり足をしつつ不意に跳躍するような、静謐に狂気を織り交ぜた演出で描いていきます。

作品を徹頭徹尾貫くある種の「危うさ」、静かなトーンのなかに、予定調和から不意に暴力的にはみ出るんじゃないかという緊張感をこちらに抱かせるその危険な資質が、この黒沢清という監督の類稀な才能なんだと、僕は思います。才気に押し付けがましさがなく、つまり成熟しており、大人の余裕を感じますね。

失職したことを言えず、それでも自らの威厳で一家を覆い、守ろうとする父。
家族と国家を守る為に、家を飛び出して米軍に従軍し、イラクへ向かう長男。
小学校で孤立し、またピアノへの興味を父親に認められず、子供ながらにドロップアウトしていく次男。
そして、静かに崩壊していく家族の闇を見つめながら、言葉を飲み込む母。

4人の熱演が、暗い輝きを鈍く放ちつつ、悲劇の背後にぴったりと滑稽なユーモアをはらませつつ、作品を見事に構成しています。香川照之と小泉今日子の芝居は迫力があり、役柄にみごとにハマっています。ワンダフルです。

というわけで僕としては「名作です」と言ってしまいたい。
ラストシーンの美しさも、言うことなし。最後、ちょっと涙が出てしまいました。
ぜひぜひ、DVDをレンタルしてほしいと思います。
こういう映画がわが国で作られているということに誇りを感じます。人が病んだり死んだりそして蘇ったりという内容の、予告編を観ただけで大体内容のすべてがわかってしまうような、あからさまに「泣ける」映画ばっかりじゃ、ツマラナイもの。
タグ:黒沢清
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映画 『バーン・アフター・リーディング』(コーエン兄弟)  [Movie]


バーン・アフター・リーディング [DVD]

バーン・アフター・リーディング [DVD]

  • 出版社/メーカー: Happinet(SB)(D)
  • メディア: DVD




感想。好きだなコレ。かなりスキです。

コーエン兄弟は90年代の作品は好きで観ていたのですが、僕の映画熱の沈静化と共にしばらく意識の表面から消えていました。久しぶりに観てみたら、「ビッグ・リボウスキ」(1998)の頃と味わいが何も変わっておらず、というか持ち味を残したまま「大人」の演出を身につけていて、改めて好感を持ちました。「味わいが変わらない」というのは、モノを作る人間に対する、ある意味強い賛辞です。

好き嫌いの分かれる映画監督(2人だけど)だと思います。作品の重点を骨格となるストーリー展開に置かないので、大多数のハリウッド映画的な「起承転結の明快さ」にまみれた映画経験の'常識'からすると、「ふざけている」「わかりにくい」という感想になると思われるからです。

CIAを辞めたキレやすい男、
ヒステリックなその妻、
超軟派の中年色男、
全身整形をして恋がしたいスポーツジム勤務のオバサン、
スポーツジム勤務の筋肉脳天気馬鹿、

…等の個性的な設定のキャラクターが、頭の悪すぎる企みやら出会い系サイトやらによってゴチャゴチャと絡みだし、複雑に錯綜していく様が、シュールな可笑しみを醸し出しつつ描かれていきます。全体の構成と音楽はサスペンス風味、キャラクター造形はコメディ、描写/演出はサスペンスとコメディ両方の味を出しています。「サスペンスの体裁に見せかけたコメディ映画」って感じですね。
豪華キャストを使いながらも肩の力を抜いた遊び(すぎ?)の作品として、なかなかの完成度だと思いました。

どの俳優の演技も愉快なのですが、ブラッド・ピット扮するスポーツジムの兄ちゃんが最高です。アメリカの筋トレ馬鹿的イメージそのまま。加えてやんちゃで可愛らしい子供のような表情や仕草。ブラッド・ピットのキワモノ役は昔から並々ならぬものがあると思っていましたが、更に磨きがかかっていました。見直しました。一流俳優ですよ彼は(笑) このブラピが観たくて、次の日に再度DVD観ちゃったくらいです。


今巷では『2012』なんていう「またCGで世界破滅させちゃうのね、もういいよ、くだらない。観なくてもわかるよ大体」みたいな映画が圧倒的なコマーシャリズムを伴って公開されているんですが、嫌味のない知性に富んだ脚本とユーモアたっぷりの演出に満ちた、こういう「しょうもない」内容の作品を観ると、なぜか安心します。個性的な才能の切れ味を経験することは、刺激だし、単純に嬉しいですからね。
オススメです。DVDレンタルしてみてほしいと思います。僕はずっとニヤニヤしっぱなしでした。そんな映画ってあんまりないよね?
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映画 『GOEMON』(紀里谷和明)  [Movie]



GOEMON [DVD]

GOEMON [DVD]

  • 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
  • メディア: DVD


劇場公開時に監督がテレビに出てインタビューしていたときの内容と、製作ドキュメンタリーの番組をたまたま観て、DVDが出たらレンタルしようと思っていました。
紀里谷監督は面構えのいい色男だし、多分相当に頭も良いのだろうけれど、恐ろしく自信家で、能力のある自信家特有の攻撃性とそれゆえの孤高感が出ている人格に見えて、作品のクオリティに絶対の自信を持っている口ぶりだったので観てみたのですが、全然楽しめませんでした。
なぜそう思ったかということを簡単に。

僕は色彩と視覚の関係とか全然わからないんですが、CGの多用された映像を観ていると、単純に目が非常に疲れるんです。本作「GOEMON」もとても眼球(?)が疲れました。
毎朝子供向け番組を目にしているんですが、7時半からテレビ東京で放映しているディズニーの最新アニメはすごく目がチカチカして疲れるのに対し、同じ時間帯にテレビ神奈川で放映している「世界名作劇場」の再放送(名犬ジョリィ、ふしぎな島のフローネ等)は、まるで疲れない。チャンネルを12から5にパッと変えると、なんだか落ち着くんです。前者は完全なCGアニメで、後者は手書きのセル画アニメーションです。それらを見比べてあっさり出した僕の結論は、CGアニメは画面上の色が過剰だということです。キャラクターだろうが背景だろうが、とにかく色の種類というか数が多いので、こちらの眼球が対応できず、強い刺激を受けている感じになる。僕らの自然界はこんなに超カラフルじゃないです。ですので内容うんぬんでなく、子供にはCGアニメはあんまり見せたくないなと思っています。CGアニメと視力の関係って、問題視されないんですかね。

「GOEMON」の監督の紀里谷和明氏は、「実写とアニメの中間を目指したい」と言ってましたし、それはまあ、人間がCGで描かれた世界の中を飛んだり跳ねたりしているんで達成されてはいると思いますが、僕は内容以前に、こんなに目がしんどいものはもうコリゴリって感じです。
「トランス・フォーマー」のようなハリウッドの実写+CG映画であまり目が疲れたと感じたことがないのは、キャラクターがCGで背景は実写ベースで作っているからで、「GOEMON」は逆に、人物は実写だけれど背景はほとんどCGなんですね。キャラクターよりも背景のほうが画面を占める面積は当然大きいので、刺激も強い。
んでもってCGクリエイターとしての監督はおそらくみずからの美的感覚と強いこだわりに従って、すべてのシーンを徹底的に「美しく」色彩豊かに描いているんですが、とにかく過剰というか、僕には白々しく、毒々しいだけにしか見えませんでした。
過ぎたるは及ばざるが如しです。勿論コレを見て「あぁ、キレイだ」と思う人もいるでしょうけれど。

独特の前衛的な衣装やありえない建築物のデザインも、センスが個性的というよりも、「個性的なセンスの切れ味」を表出させたいだけなんじゃないかと勘ぐりたくなるような過剰さに満ちていて、なんというか、鼻につきました。
作り手の自意識が強すぎる作品は、ジャンルを問わず、見る側にある種の押し付けがましさを感じさせるな、とあらためて思いました。

んでストーリー、、信長と秀吉あたりの史実を題材にした戦国ロマンなんですが、わりと古臭い物語の骨格をしています。時代設定を戦国乱世にして、友情、恋、障害、復讐、挫折、死などのつまり「青春映画の構成要素」をちりばめて話を作れば、わりと古典的な物語構造になってしまうんです。そこからはみ出るいい意味での危うさは特にない。映像にはこだわるかわりに、物語に対する素養はわりと浅いんじゃないかと・・・ 言いすぎですね(笑)

長くなっちゃいました。要するにまとめると、、

・CGやりすぎで目が疲れる
・美的感覚が自意識過剰
・物語は古典的センス

という感想になり、これが冒頭の「全然楽しめませんでした」の中身です。江口洋介はカッコよかったけれど(凄い肉体美)、もうこの監督の映画は観ないと思います。
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映画 『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』(侯孝賢)  [Movie]


ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン [DVD]

ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン [DVD]

  • 出版社/メーカー: 角川エンタテインメント
  • メディア: DVD


http://ballon.cinemacafe.net/rb/



侯孝賢(ホウ・シャオシェン)は、今、一番好きな映画作家になりそうな予感です。
僕のなかではクストリッツァ、キアロスタミ、アンゲロプロス、カウリスマキと、完全に並ぶか、凌駕しようとしています。

1年ほど前に「百年恋歌」の感想として、「ホウ・シャオシェン作品の時間の流れ方、なにかうっすらと白濁した物質が、透明な液体の底にゆっくり、ゆっくりと沈殿していくような時の進み方が好きです。人物たちの激しい感情が、激しいまま表面に出てこず、空間へ満ちていって独特の倦怠として滲み出ている感じが好きです。物語の抑揚はありませんが、詩情に溢れた、けだるくもせつない映像を愉しめます」と書きました。

今回の「ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン」も基本的な感想はまったく同じですが、さらに大きな感動を覚えました。
観ているうちに、「この作品を観ていることへの喜び」みたいなものが、もくもくと積乱雲のように湧き立ってきました。これだけで観た甲斐があったというものです。細かい論評など、もはや不要です。ですので作品の感想からはちょっと逸れます。


映画に限らず、人の創造した作品から得る、僕にとっての大きな「感動」というのは、「自分の生(あるいはこの世界全体)を肯定する力」を、その作品に触れることで自覚できる、そういう状態です。何か楽器を弾きたくなったり、歌が歌いたくなったり、文章を書きたくなったり、誰かに電話したくなったり、子供を抱きしめたくなったりする。そういうエナジーが、くりかえしのたとえになるけれど、真夏の積乱雲のように湧いてくる。精神状態として、それはひとつの理想の状態です。精神がそのような高次の領域に浮上する状態を求めることが、書物や映像や音楽にたいして自発的であることの理由のひとつだという気がします。なので、「それ」を与えてくれた作品に接したときは、無上の悦びを感じます。
本作は僕にとって、そういう作品のひとつになりました。

物語のようなものは、ほとんどありません。パリのマンションで暮らす母子家庭の日常にカメラが入り込んだような、抑揚に欠いた描写が、「ワンシーン・ワンカット」の手法で淡々と描かれます。冒険もドラマも闘争もカタルシスもありません。僕たちが良く知っているはずの日常がそこにあります。

「良く知っているはずの日常」を愛することに通ずる道を拓くことが、芸術の力の重要な役割だと思っています。どんなジャンルの、どれだけ前衛的な表現であろうと。僕たち個々の時間のほとんどは日常によって成り立っていますが、日常の輝きに足を止め、目を向けるきっかけは、意外と多くないものです。
・・・日常を描く表現者はわりといますが、侯孝賢の、この、才気が鼻につかない自然さはなんなんだろう(河瀬直美とか、鼻について感じ悪い)。これが成熟というものなんだろうか。
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